戦国鍋からなんとなく歴史を学ぶ

戦国鍋からなんとなく歴史を学ぶ

なんとなく歴史を学びたい。

討ちたいんだ/ AKR四十七フィーチャリング吉良

討ちたいんだ/ AKR四十七フィーチャリング吉良

作詞:安部裕之 作曲:奥村愛子 編曲:安部潤

※第1-5話はAKR四十七、第6話以降はAKR四十七フィーチャリング吉良として登場

 

 

元ネタ

歴史:赤穂事件
ユニット:AKB48、曲は会いたかった

 

メンバー

※ミュージック・トゥナイトに登場したメンバーはメディア討ち入り選抜「カミセブン」の7人。のちに行われた『戦国鍋TV tvkに40年の歴史あり!祝ってみせようホトトギスLIVE』では4名の追加メンバーが発表された。

 

歌詞 

※歌詞中に出てくる出来事は「経緯」の項でだいたい時系列順に整理しています

討ちたいんだ 討ちたいんだ 仇を
討ちたいんだ 討ちたいんだ 吉良を
行こうぜ この道を フォーティセブン!

主君である浅野内匠頭の仇を討つために47人の赤穂浪士吉良上野介邸に討ち入るまでの様子が描かれてゆきます。

 

あの日 松之大廊下で (殿中)
一体 何が起こったの?
真実は分からないけど
浅野は その日に切腹 (miss you)
吉良は おとがめナシなんて
綱吉さんは ご乱心?

江戸城本丸にある松の襖絵が描かれた長い廊下(通称・松の廊下)で浅野内匠頭吉良上野介に斬りかかりました。
詳しい取り調べがなされないまま、時の将軍徳川綱吉浅野内匠頭に領地没収と切腹吉良上野介にはお役御免のみという処分を下しました。

 

筆頭家老は内蔵助
急進派・堀部安兵衛
すれ違いもあったね

浅野家家臣の最高位にあった大石内蔵助浅野内匠頭の弟である浅野大学を擁してのお家再興を目指しますが、堀部安兵衛をはじめとする急進派が仇討ちを唱え、二派は激しく対立しました。

 

みんなで書いた血判状
お家再興の夢破れ
もう討つっきゃないよね!

内蔵助はお家再興の可能性を信じてお上の裁定を待ちながら、志ある者には討ち入りを誓う血判状を書かせていました。
幕府から下った命は浅野大学の広島の浅野本家への拘禁。
お家再興が叶わなくなった内蔵助は仇討ちへと動き出します。

 

神文返し 去る者は追わないよ
合言葉は 山・川 
満月が雪道照らすディセンバー
後戻りは でき・ない 
討ちたいんだ 討ちたいんだ 仇を
討ちたいんだ 討ちたいんだ 吉良を 
果たすぜ この想い
フォーティセブン! 

 内蔵助は討ち入りの前に同志たちの意思を確認するために一度血判状を返します(神文返し)。
そこで血判状を受け取った者はそのまま仇討ちには不参加、返された血判状を受け取らなかったり怒り出したりした者だけを討ち入りのメンバーとしました。
討ち入りでは同士討ちを避けるために「山」と「川」の合言葉を決めたとされています(しかしこれを確実に裏付ける史料は無いため、伝承の域を出ないものと思われます)。
討ち入りの日程は旧暦の12月14日(西暦の1703年1月30日)午前4時頃。満月が前日に降った雪を照らす中、一同は吉良邸へと討ち入ります。

 

黒小袖の下には鎖帷子
陣太鼓は 山・鹿流
討ちたいんだ 討ちたいんだ 仇を
討ちたいんだ 討ちたいんだ 吉良を 
行こうぜ この道を
フォーティセブン! 
歌おう 大声で
キラーチューン! 

浪士たちは黒い小袖を身に着けるよう申し合わせていたといいます。それ以外の装備は鎖帯や鎖帷子など人それぞれだったようです。
また赤穂事件に取材した作品では討ち入りに際して山鹿流の陣太鼓を鳴らすさまがよく描かれますが、これは実在しなかったようです。
そして言及するのも野暮ですが締めくくりは「キラー(吉良)チューン」ですね。

 

経緯

赤穂事件のうち歌詞中に出てきた出来事を簡単に整理すると以下のようになります。

浅野内匠頭、殿中の松の廊下で吉良上野介に斬りかかる(西暦1701年4月21日)
浅野内匠頭が所領没収と即日切腹を命じられる一方、吉良上野介への処分は御役御免のみとなる
③主家を失い浪人になった旧家臣たちが、お家再興を目指す一派(大石内蔵助ら)と仇討ちを唱える急進派(堀部安兵衛ら)に分かれる
浅野内匠頭の弟・浅野大学が幕府から広島の浅野本家への拘禁を命じられ(西暦1702年7月18日)、お家再興が絶望的になったため仇討ちの準備に移行する
⑤内蔵助が同志たちの意思を確認するため、一度希望者に書かせた討ち入りの血判状を差し戻す(神文返し)
⑥返された血判状を受け取らなかった者たちで討ち入り決行(西暦1703年1月30日)

この討ち入りの後にも色々ありましたが…そのあたりは同じくAKR四十七の「ゲンロク・アコージケン」で説明されます。

 

ちなみに

赤穂事件はそれを脚色した歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』などの創作で世に広く知られており、一般的にイメージされる「討ち入り」と史実は必ずしも一致するとは言えないようです。AKR四十七にもそのようなイメージに基づいた演出・キャラクターデザインが見られます。

まずは衣装。忠臣蔵を描いた浮世絵や映画などでは浪士たちは揃いのダンダラ模様の羽織を着て討ち入りますが、実際の討ち入りの衣装については、黒小袖が火消し装束に見えたとか、バラバラの火事装束を着ていたとか言われています。どの資料にも書かれているのは、黒小袖を着ていたことと袖に同士討ちを避けるための白い布を縫い付けていたこと。この布の右後ろには氏名を書き、討ち死にしたときの目印としたそうです。

AKR四十七の黒いブレザーは黒小袖の色から来ているものと思われます。吉良のブレザーが赤色になっていますが、赤穂事件を描いた浮世絵の中に吉良が赤い着物を着ているものがあるからでしょうか。色付けの真意は不明ですが、黒の集団の中ではとても目立って孤立感倍増です。
ブレザーの胸部分に描かれているのは陣太鼓をイメージしたエンブレムです。江戸時代の浮世絵に既にこれと同じ柄のものが見られます。

 

中央の二つ巴は大石家の家紋、周りのギザギザはダンダラ模様をイメージしたもののように見えます。
吉良(史実でなく戦国鍋のほう)の衣装の胸元には吉良家の家紋である丸に二つ引が付いています。

次に演出について。討ちたいんだの曲中では雪が降りますが、これも『仮名手本忠臣蔵』などの舞台でよく用いられた演出です。先述の通り、実際には雪は積もっていただけで降ってはいなかったようです。

忠臣蔵』と史実の赤穂事件の関係についての解説は、インターネットで閲覧可能な記事の中では文化デジタルライブラリーのものが詳細です。

www2.ntj.jac.go.jp

 

松の廊下の障壁画は現存していませんが、製作者と同じく狩野派の絵師が描いた絵が資料として残っています。また、江戸東京博物館には1/30サイズで再現されたジオラマが展示されています。

 

雑感

赤穂浪士の討ち入り装束の袖の白布のことを考えると、AKR四十七がブレザーの袖をまくって白いシャツが見えているのはもしや…という妄想じみた感想が浮かびました。(吉良も腕まくりしているのでその可能性は限りなく低いですが)

元ネタとダブりにダブる振り付け。左右のカメラへのアピールにも余念がありませんね。さすがメディア討ち入り選抜。トークだけでなくダンス中でも各メンバーの個性が光っています。各メンバーのキャラ造形については、AKR四十七について書かれた幾つかのネットニュースの中で演者さんたちが言及しておられます。

 

ところでこの「討ちたいんだ」、AKB48の公式ライバルとして結成された乃木坂46の「会いたかったかもしれない」を彷彿とさせます。この楽曲はAKB48の「会いたかった」の歌詞はそのままに、メロディのみ短調にアレンジされているというものです。その試みの斬新さはもちろん、AKB48のセンターを経験し、同グループを卒業した前田敦子さんがPVに登場したことでも話題を集めました。
知っている曲と大体同じなのに微妙に違う曲を聴く違和感は、ミュージックトゥナイトの楽曲を聴く感覚にも似ているように思えます。

youtu.be

 

参考

赤穂市/赤穂義士ものがたり

『仮名手本忠臣蔵』の赤穂義士たちはなぜ揃いの火事装束を着ているのか。実際はどうだったのか。 | レファレンス協同データベース

忠臣蔵の討入りの時の装束を知りたい。歌舞伎などの衣裳ではなく、実際に身につけていたものを出来たら絵や... | レファレンス協同データベース

江戸城内、松の廊下について詳しく知りたい。 | レファレンス協同データベース

国文研ニューズ No.36 SUMMER 2014 山鹿積徳堂文庫

http://www.city.kasama.lg.jp/data/doc/1452065576_doc_76_3.pdf