戦国鍋からなんとなく歴史を学ぶ

戦国鍋からなんとなく歴史を学ぶ

なんとなく歴史を学びたい。

ベー・アンベシャス/兵衛'z

ベー・アンベシャス/兵衛'z     
作詞:安部裕之 作曲:奥村愛子 編曲:安部潤  

 

元ネタ

歴史:竹中半兵衛黒田官兵衛(通称両兵衛または二兵衛)

ユニット:B'z、曲は不明。

 

メンバー

 

歌詞

本気で天下取るつもりなら 

ベー・アンベシャス! 

軍師選びが肝心さ

「ベー・アンベシャス 」はBe ambitiousのもじり。曲中のBeは全てベーに置き換えられます。  

 

半兵衛・官兵衛が揃ったら 

ドンベー・アフレイド! 
城は落ちたも同然さ 

 「ドンベー・アフレイド 」はDon't be afraidのもじり。

 
大軍はいらない 戦はココ(頭)さ 
さすがだよ秀吉 お目が高いね 
三顧の礼は 無駄にしないぜ 
半兵衛も官兵衛も敵軍に数で劣る状況でも勝てる知将として有名。
半兵衛は織田家家臣の木下藤吉郎(のちの秀吉)三顧の礼をもって軍師として迎え入れられました。
 
鳥取城は兵糧攻め 高松城は水攻め 
今度はどの城 落とせばいい? 
どちらも官兵衛の功績です。
自軍の兵力を損なわない戦いを得意としました。
 
八幡山城は調略 
三木城なら兵糧攻め 
陽動作戦もお見通し 
こちらは半兵衛の功績。
宇喜多氏の八幡山城を調略して落城させました。
 
三木合戦では秀吉に兵糧攻めの策を授け(通称「三木の干殺し」)、その陣中で病死。
長篠の戦いでは敵の武田軍の陽動作戦を見抜いて秀吉の陣の総崩れを食い止めました。  
  

本気で天下 取るつもりなら

ベー・マイ・ベイベー!

ヤバい作戦 授けるぜ

半兵衛・官兵衛が揃ったら

ベー・トゥゲザー!

毛利討伐 目前さ

織田信長が天下統一の過程において、秀吉に命じて毛利氏(+同盟関係にある宇喜多氏)の勢力範囲である中国地方に侵攻したことを中国征伐(毛利討伐)と言います。これは1577年から始まり、1582年、本能寺の変後に秀吉が毛利との講和を結んだことで終結しました。中国征伐には三木合戦や高松城の水攻めなど、両兵衛が勝利に貢献した戦が多く含まれます。

稲葉山城は十数人で

華麗にキャッチ&リリース

後世の創作?それが何か?

半兵衛は1564年に、当時仕えていた斎藤龍興の居城である稲葉山城を数十人で奪い、すぐに返還したという逸話が残っていますが、これは後世の創作であると言われています。

小田原は無血開城

植田城はあえてスルー

長宗我部のプラン 敗れたり

小田原征伐では北条氏が篭城戦の末に降伏したため、無血開城に成功しました。

四国討伐で官兵衛は長宗我部元親が植田城へと官兵衛の軍を誘い込もうとしていることに気付き、兵の損失を回避しました。

 

本気で天下取るつもりなら

ベー・アンベシャス!

軍師選びが肝心さ

半兵衛・官兵衛が揃ったら

ドンベー・アフレイド!

城は落ちたも同然さ

 

 

ちなみに

歌詞中に出てくる戦を時系列順に並べると以下のようになります。

 

織田信長荒木村重に裏切られた際、官兵衛は村重を説得するため有岡城に向かいましたが城に幽閉されてしまいます。信長は官兵衛が自分を裏切ったのだと誤解して息子の松寿丸の殺害を命令しますが、半兵衛が松寿丸を匿っていたおかげで事なきを得ました。
 
秀吉が信長の没後すぐに毛利と和議を結んだことは、秀吉を天下人へと近付けた「中国大返し」の序章としても有名です。
 
半兵衛が死ぬ前に秀吉に策を授けた話は戦国サポートセンターでも取り上げられています。
 
 

雑感

ユニット名を見た時点でオマージュ元が分かってしまいます。半兵衛、細身のシルエットも動きもそれっぽいですね。

稲葉さん枠が稲葉山城を乗っ取ったとされる半兵衛になっているのは偶然ではない気がします。

歌詞が中々に強気ですが、これだけの功績を並べられると「城は落ちたも同然」などと言われても納得してしまいます。
 
 
参考