シズガタケの七本槍/SHICHIHON槍
シズガタケの七本槍/SHICHIHON槍
元ネタ
歴史: 賤ヶ岳の七本槍
メンバー
歌詞
※放送時は1番のみでしたが、武士ロックフェスティバルで2番が追加されました。
心に誓う 秀吉への思い
賤ヶ岳の七本槍は賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉側について戦いました。
信長亡きあと ライバルは勝家
倒せば天下さぼくらのヤリで叶えよう
この時の状況は後述。
IKUSAはチャンス!(チャンス!)
討ち死にするのは怖いけど
HOUBIもゲット!(ゲット!)
ヤリは折れても 心は折れない
命をかけて武功を立てたら出世できる、褒美が貰える。
決戦の舞台はシズガタケ
一番槍だ 福島正則
先陣を切って敵と槍を交えた人は一番槍と呼ばれます。
虎も倒した加藤清正
賤ヶ岳の戦いより後、朝鮮出兵の際に虎を倒した逸話があります。
通称孫六、本名嘉明。曲中では「よしあきら」
七人合わせて七本槍
淡路水軍 脇坂安治
そのままです。賤ヶ岳の戦いより後に淡路の洲本城主となり、淡路水軍を率いていました。
大名じゃないよ 平野長秦
石高一万石以上の者が大名と見なされていたようです。
二人だけ扱いがすごく雑です。
糟谷武則は
片桐且元は大坂の陣前後の時期に豊臣と徳川の板挟みになった苦労
ウィー・アー ウィー・アー 七本槍!
(ここから武士ロックフェスティバルで追加された2番の歌詞)
IKUSAはチャンス!(チャンス!)
主君の心を射抜いたら
KOKUDAKAアップ!(アップ!)
槍が降っても 棒には振らない
武功を上げても主君の心を射抜けていなかったら石高アップしにくいこともあったらしい。
決戦の舞台はシズガタケ
酒癖悪いぞ 福島正則
三名槍の一つ、日本号を呑み取られた逸話が有名です。泥酔して家臣に切腹を命じたという恐ろしい話もあるようです。
兜が長い 加藤清正
蛇の目紋長烏帽子形兜という長い兜が加藤清正の兜として有名です。
何も長くない 加藤嘉明
「何も」が示すものは分かりませんが、兜は確かに加藤清正ほど長くありません。「銀箔押富士山形張懸兜」という変わった形の兜が加藤嘉明所蔵として伝わっています。
七人合わせて七本槍!
貂(てん)の皮だぜ 脇坂安治
脇坂家では馬印(大名が自身の位置を示すための表示具)として貂の皮が用いられていました。
旗本なのさ 平野長泰
平野長泰は関ヶ原の戦いで東軍につき、以後徳川家に仕えました。江戸時代には将軍家直属の家臣のなかで大名(石高1万石の者)以下,御目見 (おめみえ、将軍に謁見できる者) 以上の者を旗本と言いました。結局「大名じゃない」ままでした。
あと 糟谷武則と片桐且元
ウィ・アー ウィ・アー 七本槍!
2番でもこの2人は省略されてしまいました。
ちなみに
本能寺の変で信長が没した後、織田家の家臣たちは清洲城(
戦の当時秀吉は羽柴姓を名乗っていましたが、
秀吉のもとで戦った七本槍、関ヶ原の戦いでは糟谷武則と片桐且元以外の5人が東軍についています。そのうちの一人である福島正則は、晩年に幕府に無断で城を改築したかどで領地を没収されました。一方平野長泰は大名にこそなれなかったものの石高を減らされることもなく、子孫が十代にわたって同じ所領を統治しました。
七本槍が賤ヶ岳の戦いで武功を上げた者として知られていますが、この7人以外にも武功を挙げて褒賞を得た者はいます。
雑感
この昭和感と漢字+アルファベットのネーミングは間違いなく光GENJI
各人の説明が短い。
関内ホールライブで通常ver.の後に歌われたというアコースティックver.(元ネタ: 夜
参考
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/facata/pdf/025/facata025_6.pdf
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/files/group/3/24242683.pdf