敦盛2011/信長と蘭丸
元ネタ
メンバー
(バックダンサー「小姓ダンサーズ」)
- 種田亀(おいだかめ)
- 伊藤彦作
- 久々利亀(くくりかめ)
- 狩野又九郎
- 落合小八郎
歌詞
初めて会ったあの時に 君と生きると決めたんだ
オレの心の桶狭間 埋められるのは君だけさ
「心の桶狭間」
騙されないよその笑顔 小姓の気持ちもてあそぶ
頭の中はいつだって 天下布武しか無いくせに
「天下布武」は信長が掲げた目標で、
オレが統一したいのは二人の心 分かるだろ?
言ってるんでしょ 同じこと他の小姓の耳元で
信長は天下統一を試みましたが、二人の心も統一したいようです。
君が信じてくれるなら どんな願いも叶えよう
武田勝頼討ち獲ったら 城持ち大名になりたいな
蘭丸は武田勝頼が討ち取られた甲州征伐の後に美濃金山城の城主と
君だけだよ おらん
楽市楽座はノーサンキュー
君だけしか おらん
愛の敦盛 独占させて
ビリーブ
蘭丸の愛称「おらん」と「居らん」(いない)をかけています。
楽市楽座は信長が城下町を繁栄させるためにとった政策で、
つまりは「他の人との取引(恋愛)は駄目、自分が利益(=
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
今宵2人でうつけよう
「下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」は舞の曲目『敦盛』の一節です。
「うつけ」は「まぬけ」を意味します。信長は「大うつけ」
「心の包囲網」は信長と敵対する勢力間で結ばれた同盟「
「ホトトギス」
「尾張」は信長の生国で、「終わり」と掛かっています。
この曲での信長の年齢設定は47歳なので、オヤジギャグお洒落な言い回しが
三段撃ちで 愛してる 聞かせてくれよ ホトトギス
言わせるんでしょ 同じこと他の小姓の唇で
「三段撃ち」は三段構えの鉄砲隊が交替で一斉射撃を行う戦法で、
君が信じてくれるなら オレの一字を与えよう
長の一字をいただいて 森長定と名乗ります
長定の名については、信長から一字をもらったものなのか、
安土城の天守閣は吹き抜け構造です。火がよく回りますね。
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
今宵2人でうつけよう
君だけだよ おらん
楽市楽座はノーサンキュー
君だけしか おらん
愛の敦盛 独占させて
ビリーブ
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
今宵2人でうつけよう
ちなみに
天下布武は「武力で天下を制圧する」
三段撃ち戦法は、
蘭丸の名前の表記は"蘭"丸ではなく"乱"丸が正しいようです。存命中の書簡には「乱法師」などの表記があります。(「蘭丸」は後年の史料にしか登場しませんが、「乱丸」表記より認知度が高いため、研究者等も便宜上この表記を使うことが多いようです。)
また、蘭丸が信長から一字を拝領して長定と名乗ったという説は『
雑感
不動の人気曲。「戦国鍋は分からないけどこの曲だけ知っている」という方もかなりいるのではないでしょうか。他の曲も秀逸なのでぜひ。
なんとなく聴いていると歴史用語だらけの歌詞のインパクトに気を取られますが、
「俺の心の桶狭間」と「君の心の包囲網」、
ところでこの2人、曲の中では恋人のようにストレートに愛を叫んでいますが、トークでは自分たちは武将と小姓であり、あくまで主従の関係だと強調しています。二人が衆道関係にあったという説は、小姓と主人は通常そういった関係になるものという一般論に基づいており、二人が実際そうだったと裏付ける確かな資料がないことに配慮しているものと考えることもできます。(蘭丸が有能で信長からの信頼も篤く、重用されていたことは確かなようです)
小姓ダンサーズにわざわざ名前が付いていることについて。「いちいち芸が細かい戦国鍋のことだから、実在した小姓の名前から取ったのだろう」程度に思っていましたが、ちょっと検索してみたところ、本能寺で討死した小姓として文献に名が残っているらしいことが判明。さすが戦国鍋、チョイスがむごい。
敦盛の「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか」のフレーズは、「人間の寿命って50年くらいだよね、短いよね」という意味に取られがちですが、ざっくり言うと「人間界での50年は天上界の一日に相当するくらい短いから有意義に過ごそう」という意味になるようです(超意訳なのであしからず。詳細は本職の方のブログや本などでお確かめください)。この辺りのことは六欲天をご存知の方にとっては一般常識かもしれませんが。
信長周辺は年々新説や新史料が出てきていて目が離せませんね。
信長と蘭丸に関しては制作陣の作り上げた素敵な世界観を楽しみつつ史実とそうでないネタのラインを認識しておきたかっため、野暮だと思いつつ色々突っ込んでしまいました。蘭丸が有能な小姓だったのは間違いないらしいと分かったので満足です。
参考
「人間五十年」 幸若舞「敦盛」 : 能楽師・柴田稔 Blog
*1:https://dl.ndl.go.jp/info:
こちらの227コマに信長の用いた天下布武の印が載ってます。
AZAISM /浅井三姉妹チームA・チームZ・チームI
AZAISM /浅井三姉妹チームA・チームZ・チームI
元ネタ
ユニット:Perfume、曲はおそらくポリリズム
メンバー
- 茶々
- 初
- 江
歌詞
パパが信長裏切って ママは再婚です
新しいパパは柴田勝YEAH
勝家パパが秀吉に 賤ヶ岳で負けて
ママと一緒に自害なのです
からみ合うデスティニー ちょっと過酷すぎじゃない?
巻き込まれてくバトル 戦国のレディは受け入れるんです
長女は茶々または淀 秀頼のママ
豊臣家のリーダーみたいな
茶々は秀吉の側室になり、
いつも間に立つのは 次女の初なのね
仲介に奔走したけれど
ちなみに
このときの徳川方の使者は家康側室の阿茶局。
雑感
参考
エヴリデイ儲かんでい/堺衆
エヴリデイ儲かんでい/堺衆
元ネタ
歴史:堺衆
ユニット:SMAP(6人時代)、曲はHey Hey おおきに毎度あり
メンバー
- 津田宗及(つだそうぎゅう)
- 呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)
- 松江隆仙(まつえりゅうせん)
- 今井宗久(いまいそうきゅう)
- 小西隆佐(こにしりゅうさ)
- 茜屋宗佐(あかねやそうさ)
歌詞
お侍はん お困りでっか?
なになに 戦でカネがいる?
よっしゃ一肌脱ぎまひょか!(かめへん!かめへん!)
武将と堺商人は密接な関係にありました。
例えば天王寺屋(津田家の屋号)は三好氏に軍用金を援助していました。
困った時は お互い様や
サポートしまっせ天下取り
戦の沙汰もカネ次第! (かめへん!かめへん!)
武将に軍用金を贈ることで堺の町の安全を図りました。
鉄砲・織物 儲かんでい
なんでもそろう 堺やさかい
南蛮貿易 儲かんでい
日本のベニス 堺やさかい
堺は南蛮貿易の拠点として発展し、鉄砲・織物をはじめとする様々な商品が取引されました。
また、自治都市であることから日本のベニスと呼ばれました。
まいど!わてら堺の会合衆
ただのアキンドと ちゃいまんねん
まいど!信長はんに秀吉はん
おいくら万両いりまんねん?
堺の自治は プライスレス
ええ商いは ウィンウィンウィンウィン!
納屋の貸し付けを行っていた商人の中で特に有力な者たちが、会合衆という合議集団として行政にあたりました。なお、曲中では「えごうしゅう」と歌われていますが、最近では「かいごうしゅう」が正しいとされてきています。
1568(永禄11)年、織田信長が堺に対し、軍用金二万貫を要求。 信長の武力を前に堺衆は屈服せざるを得ず、堺の自治権は奪われました。
秀吉は天下を取ってから堺の周囲を囲んでいた堀のの埋め立てを命じましたが、商人たちを上手く取り立てて持ちつ持たれつの関係を築いています。
わて津田宗及
茶の湯がめちゃくちゃ好きやねん
豪商の家に生まれており、会合衆の中で最も有力。いわゆるボンボン。千利休、今井宗久とともに信長・秀吉に仕えました。
わて助左衛門
ルソンで壷を買うてきてん
納屋助左衛門、通称呂宋助左衛門。ルソン(フィリピン)から壺を輸入して巨額の財を成しますが、贅沢をしすぎて秀吉の不興を買ったためカンボジアに逃避しました。
わて松江隆仙
(かめへん!かめへん!)
信長が相国寺で開いた茶会に招かれた堺の有力者10人の中にその名が見られるそうです。
わて今井宗久
武将に銃を売ってんねん
千利休の茶の湯の師匠でもある武野紹鴎に師事し、娘婿になりました。商才を発揮して要職に就いた成り上がりタイプ。千利休、今井宗久とともに茶の三大宗匠といわれています。
わて小西隆佐
息子を武将にしたるねん
小西隆佐は薬種商人でしたが、秀吉に才能を買われて財務・兵糧管理などを任されるようになりました。次男の小西行長は秀吉に取り立てられて武将になりました。
わて茜屋宗佐
(かめへん!かめへん!)
前述の相国寺茶会に出席。武野紹鴎に師事した茶人・商人。茶の湯の名物を複数持っていたとされています。
鉄砲・織物 儲かんでい
なんでもそろう 堺やさかい
南蛮貿易 儲かんでい
日本のベニス 堺やさかい
まいど!わてら堺の会合衆
ただのアキンドと ちゃいまんねん
まいど!信長はんに秀吉はん
おいくら万両いりまんねん?
堺の自治は プライスレス
ええ商いは ウィンウィンウィンウィン!
ちなみに
「日本のベニス」という堺の二つ名は、イエズス会の宣教師ガスパル・ビレラの本国への報告に見られる「此町はベニス市の如く執政官に依りて治めらる」という記述から生まれたものと考えられます。
6人の商売に関してはトーク部分で詳しく言及されています。
雑感
オマージュ元の6人を思わせるふわっとした歌い方によってミュージック・トゥナイトお得意の「どこかで聴いたことある感」が増しています。スタッフさんの編集力なのか演者さんの再現力なのか、どちらにせよ素晴らしいです。
歌声の爽やかさに反してトークは押しが強い。アイドルユニットの設定ということで、自治がセルフプロデュースでの活動に置き換えられているのも面白いです。
信長が要求した軍用金二万貫は、当時の貨幣価値が明確に定まっていないため現代の貨幣で幾らになるかについては諸説あるようです。しかしどの説を見ても大金です。
国外逃亡せざるを得ないほど秀吉から不興を買う助左衛門、一体どんな暮らしぶりだったのか・・・
参考
2:「自由・自治都市」として発展 ~ 堺 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産
中世堺の自治組織である「会合衆(えごうしゅう)」は三十六人衆ともいわれているとのことだが、そのメンバ... | レファレンス協同データベース
https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/koho/citypromo/taiga_sennorikyu.files/kiiro.pdf
たぶん利休七哲/利休七哲
元ネタ
歴史:利休七哲
メンバー
歌詞
利休の背中追いかけて
ここまで来たよ 数奇の道
数寄は「好き」と同語源で、風流・風雅を好むことを指し、15世紀中頃から茶の湯の風流も指す語となりました。
わびさび学び 茶の湯フォーユー
武功もお茶も立てるのさ
「わび」は飾りやおごりを捨てた、ひっそりとした枯淡な味わい、「さび」は古びた味わいだそうです。「わび」という言葉を初めに使ったのは千利休の師の武野紹鴎で、侘び茶を大成したのが利休です。
武士が茶の湯を嗜んだ理由は、茶会が外交の場であったこと、茶の湯に精神訓練的側面があったことなどが挙げられます。
名物なんて なくていい
茶室に広間もいらないさ
行こう待庵にじり口
くぐればそこは ユニバース
ここでの名物とは選定された由緒ある茶道具のことを指します。利休は名物でなく無名、あるいは新作の道具を積極的に取り入れました。
待庵は利休が侘び茶の理想を体現した茶室です。にじり口は利休が発案したとされる茶室の小さな入り口で、客は身をかがめてにじって茶室に入ることになります。その小ささは、武士などが下げている刀は外して入らなければならないほど。茶室に入れば皆身分は関係なく平等であるということが表されています。
竹の花入れ 水仙の花が揺れてる
一期一会 やっと会えたね
利休は豊臣秀吉の小田原攻めに同行し、その地に生えていた竹で簡素な花入れを作りました。
水仙の花は利休が好んだとされています。
一期一会は元々茶道の心構えを示す語として、客も客を迎える側も茶会は毎回一生に一度だというつもりで、誠意を込めて臨むべきだ、という意味で使われていました。
織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将。歌道も茶道も嗜んで武功も立てた文武両道なキリシタン大名。利休が自害した後、息子の少庵を保護しました。
細川藤孝(幽斎)の息子で、光秀の娘たま(ガラシャ)の夫としても有名。秀吉に仕えましたが関ヶ原の戦いでは徳川方につきました。和歌・絵画・蹴鞠など複数分野において知識多め。血の気も多め。
芝山監物
信長・秀吉に仕えた武将。秀吉には御伽衆(主君に近侍して雑談の相手をする職で、当時一流の文化人が就いた)として仕えました。
信長・秀吉に仕えたキリシタン大名。文禄・慶長の役に参加し、朝鮮で没しました。
信長・秀吉に仕えたキリシタン大名。牧村利貞や黒田官兵衛など多くの武将をキリスト教に導き、バテレン追放令が敷かれても信仰を捨てませんでした。徳川幕府の禁教令で国外追放され、その翌年にマニラで亡くなりました。
瀬田掃部
初め北条氏、のち秀吉に仕えました。豊臣秀次と親しかったため、秀吉と不和になった秀次が切腹を余儀なくされた後に刑死しました。
信長・秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川方につきました。大坂夏の陣のときに豊臣家への内通を疑われ自刃。茶の湯においては奇抜な美的感覚で一世を風靡し、織部流の祖となりました。
利休の高弟7人衆
コール・ミー利休七哲
高弟とは弟子の中でも特に優れたものを指す語です。
でも実は メンバーには諸説あるんだ
入る説もあるよ ここにはいないけど
荒木村重は織田信長に仕えましたが離反して居城の伊丹城を追われました。のち出家して茶の湯に専念し、豊臣秀吉に保護され茶人として仕えました。
有馬豊氏は初め豊臣秀吉に仕えましたが、秀吉の死後は家康に仕えました。関ヶ原の戦いでは東軍につき功を立て、大坂の陣でも活躍しました。
創意工夫と もてなす心 溢れ出す
一期一会 もう離さない
利休はそれまでの茶の湯の型にはまらない、斬新な工夫をこらして侘茶を確立しました。
芝山監物 牧村利貞
高山右近 瀬田掃部
大名茶人の7人衆
コール・ミー利休七哲!
読んで字のごとく、大名であり茶人でもある7人です。
でも実は メンバーには諸説あるんだ
入る説もあるよ ここにはいないけど
利休七哲のメンバーには諸説あります(念押し)。
ちなみに
利休の作った竹の花入れは3点現存しています。
雑感
Aメロ、コーラス、声を裏返す部分などから元ネタが思い起こされて楽しい曲です。衣装は「ジュリアに傷心」の雰囲気ですね。
「わび」と「さび」はRQのコーナーでも説明されていますが、非常に奥深い概念ですね(難しい)。
待庵の狭さやにじり口はRQくんのショップの試着室で表現されています。こちらは分かりやすい。
園城寺も一話を使って取り上げられています。
そして「一期一会 やっと会えたね」と「一期一会 もう離さない」という歌詞。一番でやっと会えたのに二度と会えないのかと思わせておいての二番。離さないものが何かは分かりませんが、単純に茶会の客人への向き合い方を指しているのなら、もてなしの熱量が高すぎます(褒めてる)。
参考
ベー・アンベシャス/兵衛'z
ベー・アンベシャス/兵衛'z
作詞:安部裕之 作曲:奥村愛子 編曲:安部潤
元ネタ
ユニット:B'z、曲は不明。
メンバー
歌詞
本気で天下取るつもりなら
ベー・アンベシャス!
軍師選びが肝心さ
「ベー・アンベシャス 」はBe ambitiousのもじり。
半兵衛・官兵衛が揃ったら
ドンベー・アフレイド!城は落ちたも同然さ
「ドンベー・アフレイド 」はDon't be afraidのもじり。
大軍はいらない 戦はココ(頭)ささすがだよ秀吉 お目が高いね三顧の礼は 無駄にしないぜ
今度はどの城 落とせばいい?
八幡山城は調略三木城なら兵糧攻め陽動作戦もお見通し
宇喜多氏の八幡山城を調略して落城させました。
本気で天下 取るつもりなら
ベー・マイ・ベイベー!
ヤバい作戦 授けるぜ
半兵衛・官兵衛が揃ったら
ベー・トゥゲザー!
毛利討伐 目前さ
稲葉山城は十数人で
華麗にキャッチ&リリース
後世の創作?それが何か?
小田原は無血開城
植田城はあえてスルー
長宗我部のプラン 敗れたり
小田原征伐では北条氏が篭城戦の末に降伏したため、無血開城に成功しました。
四国討伐で官兵衛は長宗我部元親が植田城へと官兵衛の軍を誘い込もうとしていることに気付き、兵の損失を回避しました。
本気で天下取るつもりなら
ベー・アンベシャス!
軍師選びが肝心さ
半兵衛・官兵衛が揃ったら
ドンベー・アフレイド!
城は落ちたも同然さ
ちなみに
歌詞中に出てくる戦を時系列順に並べると以下のようになります。
- 長篠の戦い(1575)
- 中国征伐開始(1577)
- 備前八幡山城主の調略(1578)
- 三木合戦(1579)
- 鳥取城の兵糧攻め(1580)
- 高松城の兵糧攻め・中国征伐終了(1582)
- 四国征伐(1585)
- 小田原征伐(1590)
雑感
ユニット名を見た時点でオマージュ元が分かってしまいます。半兵衛、細身のシルエットも動きもそれっぽいですね。
稲葉さん枠が稲葉山城を乗っ取ったとされる半兵衛になっているのは偶然ではない気がします。
参考
GO!天正遣欧少年使節/天正遣欧少年使節
元ネタ
歴史:天正遣欧少年使節
ユニット:不明
メンバー
歌詞
学校はセミナリヨ
キリシタン大名の有馬晴信の時代に、有馬(長崎県南島原市)
選ばれたよ僕ら4人
セミナリヨに学んだ人々の中から、キリシタン大名有馬晴信・
連れてって
ヴァリニャーノ
イエズス会の宣教師ヴァリニャーノが日本での布教活動の成果を知らせるために四人の
知りたいよ隣人ラブ
隣人ラブ=隣人愛。 キリスト教の教義ですね(マタイによる福音書22章39節)。
この海の向こう
何が待っていても
十五夜に(1582)
希望の船で漕ぎ出そう!
突然の年号暗記タイム。
スペイン国王
メディチさんにも
会えるかな
天正遣欧少年使節が実際に会った人々です。
中浦ジュリアンはローマ教皇と公式に謁見する日、
メディチさんはフィレンツェの富豪、
リスボンミラノ
舞踏会にも出れるかな
天正遣欧少年使節はこれらの地を訪れました。前述のトスカーナ大
伊東はマンショ
千々石はミゲル
原はそうマルチノ
中浦はなんたって
ジュリアンさ
年号に続き、お名前暗記タイム。
僕たち天正遣欧少年使節!
GO! GO! GO!
戦国生まれ
キリシタン育ち
九州のバテレン
だいたい友達
4人は幼少時よりキリスト教に親しんでいました。
「だいたい友達」
知ってるかい?
僕らの大航海
リスボンまで2年半
1582年2月に長崎を発った彼らがリスボンに到着したのは、
ヴァリニャーノは
ゴアまでなの
セミナリヨで学びなYO!
ゴアでヴァリニャーノと別れ、
伊東はマンショ
千々石はミゲル
原はそうマルチノ
中浦はなんたってジュリアンさ
GO! GO! GO!
ちなみに
この曲ではマンショ・
これはおそらく、キリシタン大名の血縁者であった(マンショは大友宗麟の姪の子、ミゲルは有馬晴信の従兄弟で大村純忠の甥)二人が正使、
売り出し方に差がつけられた訳ではないはず、多分。
希望の船で漕ぎ出してヨーロッパに到着、
ヴァリニャーノの後を引き継いで4人を引率したメスキータ神父とは、ミュージック・トゥナイトの公開収録回で団扇を振っているあの男性のことです。
雑感
全体を通して韻踏みまくりの歌詞。瞼に焼き付きやすい謎の振り付けもあいまって、
しかしオマージュ元のユニットが分かりません。
最後のミュージック・トゥナイト出演回で剣を置いてステージを去っていくのは山口百恵さんの引退コンサートのオマージュっぽいですね。
参考
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/kyouiku/page4734.html
https://ia800606.us.archive.org/24/items/portugaljesuitsj00west/portugaljesuitsj00west.pdf
シズガタケの七本槍/SHICHIHON槍
シズガタケの七本槍/SHICHIHON槍
元ネタ
歴史: 賤ヶ岳の七本槍
メンバー
歌詞
※放送時は1番のみでしたが、武士ロックフェスティバルで2番が追加されました。
心に誓う 秀吉への思い
賤ヶ岳の七本槍は賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉側について戦いました。
信長亡きあと ライバルは勝家
倒せば天下さぼくらのヤリで叶えよう
この時の状況は後述。
IKUSAはチャンス!(チャンス!)
討ち死にするのは怖いけど
HOUBIもゲット!(ゲット!)
ヤリは折れても 心は折れない
命をかけて武功を立てたら出世できる、褒美が貰える。
決戦の舞台はシズガタケ
一番槍だ 福島正則
先陣を切って敵と槍を交えた人は一番槍と呼ばれます。
虎も倒した加藤清正
賤ヶ岳の戦いより後、朝鮮出兵の際に虎を倒した逸話があります。
通称孫六、本名嘉明。曲中では「よしあきら」
七人合わせて七本槍
淡路水軍 脇坂安治
そのままです。賤ヶ岳の戦いより後に淡路の洲本城主となり、淡路水軍を率いていました。
大名じゃないよ 平野長秦
石高一万石以上の者が大名と見なされていたようです。
二人だけ扱いがすごく雑です。
糟谷武則は
片桐且元は大坂の陣前後の時期に豊臣と徳川の板挟みになった苦労
ウィー・アー ウィー・アー 七本槍!
(ここから武士ロックフェスティバルで追加された2番の歌詞)
IKUSAはチャンス!(チャンス!)
主君の心を射抜いたら
KOKUDAKAアップ!(アップ!)
槍が降っても 棒には振らない
武功を上げても主君の心を射抜けていなかったら石高アップしにくいこともあったらしい。
決戦の舞台はシズガタケ
酒癖悪いぞ 福島正則
三名槍の一つ、日本号を呑み取られた逸話が有名です。泥酔して家臣に切腹を命じたという恐ろしい話もあるようです。
兜が長い 加藤清正
蛇の目紋長烏帽子形兜という長い兜が加藤清正の兜として有名です。
何も長くない 加藤嘉明
「何も」が示すものは分かりませんが、兜は確かに加藤清正ほど長くありません。「銀箔押富士山形張懸兜」という変わった形の兜が加藤嘉明所蔵として伝わっています。
七人合わせて七本槍!
貂(てん)の皮だぜ 脇坂安治
脇坂家では馬印(大名が自身の位置を示すための表示具)として貂の皮が用いられていました。
旗本なのさ 平野長泰
平野長泰は関ヶ原の戦いで東軍につき、以後徳川家に仕えました。江戸時代には将軍家直属の家臣のなかで大名(石高1万石の者)以下,御目見 (おめみえ、将軍に謁見できる者) 以上の者を旗本と言いました。結局「大名じゃない」ままでした。
あと 糟谷武則と片桐且元
ウィ・アー ウィ・アー 七本槍!
2番でもこの2人は省略されてしまいました。
ちなみに
本能寺の変で信長が没した後、織田家の家臣たちは清洲城(
戦の当時秀吉は羽柴姓を名乗っていましたが、
秀吉のもとで戦った七本槍、関ヶ原の戦いでは糟谷武則と片桐且元以外の5人が東軍についています。そのうちの一人である福島正則は、晩年に幕府に無断で城を改築したかどで領地を没収されました。一方平野長泰は大名にこそなれなかったものの石高を減らされることもなく、子孫が十代にわたって同じ所領を統治しました。
七本槍が賤ヶ岳の戦いで武功を上げた者として知られていますが、この7人以外にも武功を挙げて褒賞を得た者はいます。
雑感
この昭和感と漢字+アルファベットのネーミングは間違いなく光GENJI
各人の説明が短い。
関内ホールライブで通常ver.の後に歌われたというアコースティックver.(元ネタ: 夜
参考
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/facata/pdf/025/facata025_6.pdf
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/files/group/3/24242683.pdf